体操男子で五輪4大会連続出場し、個人総合連覇を含む7個のメダルを獲得した内村航平(33)=ジョイカル=が11日、所属事務所を通じ、現役を引退すると発表した。
難しさと美しさを兼ね備えた演技で高い総合力を持ち「キング」の異名を誇ったが、近年は故障に悩まされ続けた。
14日には都内で記者会見を開き、約30年にも及ぶ体操人生と今後について、自らの言葉で語る。
ついにこの時を迎えた。
3歳から体操を始めた内村。
五輪は4大会連続出場で、つかんだメダルは金3を含む7個。
個人総合では五輪連覇など国内外で40連勝。
いつしか「キング」と呼ばれた。
鉄棒で予選敗退に終わった東京五輪後、「僕の見せられる夢はここまで」と語った唯一無二の王者は、約30年の競技生活に終止符を打つことを決めた。
16年リオ五輪で終わるかもしれなかった。
しかし、導かれるように決まった東京五輪で、4度目の出場を決意。
同年には日本体操界初のプロ転向を表明し、新たな道を切り開いた。
30歳を超えると己の体との闘いが続いた。
17年世界選手権では左足首を痛めて途中棄権。
19年全日本選手権では、両肩痛で14年ぶりの予選落ち。
五輪は「夢物語」と思うほど、かけ離れていった。
それでも内村はもがいた。
プロになり、東京五輪こそ「自分が出て演技で伝えたい」。
個人総合へのプライドも捨て、鉄棒に専念した。
痛む体にムチを打ち、H難度の大技「ブレトシュナイダー」も取得。
5年間、試行錯誤し、たどり着いた本番は、まさかの予選落ち。
代表1枠を争ったライバルに「土下座したい」と語ったが、「僕の人生においては必要だった」と負ける意味を知った舞台にもなった。
ラストの舞台は昨年10月24日、生まれ故郷での世界選手権・種目別鉄棒決勝。
高く弧を描いた着地は1ミリも微動だにしなかった。
「会心の一撃」と自画自賛の出来。
結果は6位も観客の心を大きく揺さぶった。
「関節という関節が全部痛い」という体は練習もできず、両肩に生理食塩水を入れる注射は2年間で総回数は100回を超えていた。
内村はボロボロになっても、美しい体操を求め続けた。
思い残すことはない。
東京五輪では、当時19歳の橋本大輝(順大)が個人総合王者に輝き、団体でも橋本、北園丈琉(徳洲会)の当時10代の2人と、萱和磨、谷川航(ともにセントラルスポーツ)が世界一まで0・103点差に迫る銀メダルをつかんだ。
次世代の著しい成長とたくましさを目の当たりにし、「世界の体操界を引っ張っていける。もう(自分は代表に)いらないじゃん」と全てを託した。
キングが築き上げた歴史は、日本体操界の大きな財産となる。
内村 航平(うちむら・こうへい)
1989年1月3日、福岡・北九州市生まれ。33歳。
ジョイカル所属。
3歳の時、両親が長崎・諫早市で設立した体操クラブで競技を始め、個人総合では2008年北京五輪銀、12年ロンドン、16年リオ五輪で連覇。
リオでは団体も優勝。
五輪で計7個メダル獲得。
世界選手権は09年ロンドンから15年グラスゴーまで個人総合6連覇など10個の金含む21個のメダル獲得。
162センチ。
家族は妻と2女。