ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のボーカルでギターの鮎川誠(あゆかわ・まこと)さんが29日午前5時47分、膵臓がんのため東京都の自宅で死去した。
30日、公式サイトで発表された。

 

74歳。福岡県久留米市出身。
「めんたいロック」草分けの1人として1970年代から活躍し、「ユー・メイ・ドリーム」などのヒット曲も飛ばした。
2015年に最愛の妻シーナさんに先立たれたが、遺志を継いで「シナロケ」の活動を続けた。
2月4日に東京・下北沢の森巖寺で通夜・葬儀を兼ねた「ロック葬」を執り行い、同5日に家族のみで告別式を営む。
喪主はモデルで長女の鮎川陽子(ようこ)。

 

公式サイトの発表によると、鮎川さんは昨年5月に膵臓がんが判明。医師から「余命5カ月程」という宣告を受けた。
それでも「みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず」に全国ツアーを続行。
「昨年末激しい腹痛により一時入院となるも、この1ヶ月間は医師の治療の下、ライブ復帰を目指して自宅で懸命に家族と回復に努めておりました」と伝えた。

 

【コメント全文】

鮎川誠のファンの皆様、関係者の皆様へ

1月29日5時47分、鮎川誠が永眠いたしました。

膵臓がんでした。

これまで鮎川誠とシーナ&ロケッツを長年に渡って応援し、愛してくださり、本当に有難うございました。

鮎川は1966年の初ステージ以来、現在まで57年間に渡りノンストップでロックンロールを続けてきました。

昨年5月、膵臓癌が発覚。医者から余命5ヶ月程という宣告を受けました。

ですが、みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず、ライブの合間に治療を続けながら全国ツアーを続行しました。

「自分が死ぬまでの間に1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい」と1本1本のライブに全身全霊を注ぎながら行なってきました。

昨年には45周年記念ライブを新宿ロフトで開催し、47都道府県ツアー、沖縄・宮古島でのライブ、ロンドンナイトのクリスマスなど、重いレスポールを爆音でかき鳴らし、病があるにも関わらず、いつも熱いステージで昨年のライブ本数はここ数年で最多でした。

昨年末激しい腹痛により一時入院となるも、この1ヶ月間は医師の治療の下、ライブ復帰を目指して自宅で懸命に家族と回復に努めておりました。

亡くなる直前まで次に出すアルバムの選曲を考えたり音楽制作に没頭しておりました。

最期の瞬間までロックに身を捧げた生涯でした。

鮎川誠、そしてシーナ&ロケッツを愛してくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

心からありがとうございました。

通夜・葬儀は、長年暮らした下北沢で、シーナと同じ『ロック葬』で送りたいと思います。

どうぞ当日は遠い世界に旅立つ鮎川誠に会いに来て最後の別れの言葉をかけてあげてください。 

 

ロケットダクション

 

最後のライブは昨年12月19日、京都のライブハウス「磔磔(タクタク)」での公演。
その後、内田裕也さんが始めた恒例の年越しライブ「ニューイヤー・ロックフェスティバル」への出演をキャンセルし、1月8日に予定した「磔磔」での公演も取りやめてファンを心配させていた。
この1カ月間は自宅で回復に努めたものの、最期は3人の娘たちに見守られ、眠るように息を引き取った。

 

1970年に篠山哲雄や柴山俊之らとサンハウスを結成。
74年に九州大を卒業して翌75年にメジャーデビューを果たした。
リードギタリスト兼作曲家を78年のバンド解散まで担当した。

 

サンハウス時代に演奏を聴きに来たシーナ(悦子さん)と出会い、シーナの妊娠を機に76年に結婚。
双子の女児のパパとなった。
78年に夫婦で上京し、シーナ&ロケッツを結成。
79年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)メンバーのサポートを受けてアルバム「真空パック」を発表し、シングル「ユー・メイ・ドリーム」が日本航空のCMに起用され、一躍ブレークを果たした。

 

80年のYMO初の国内ツアーにはゲスト・ギタリストとして参加し、81年の武道館公演ではYMOとシーナ&ロケッツの共演が実現した。
88年には米ニューヨークのCBGBでライブデビューを果たすなど、海外にもその名をとどろかせた。
90年代、2000年代に入っても、シナロケだけでなくソロとしても精力的に活動を展開。
シナロケは13年に結成35周年を迎え、全国25カ所でツアーを実施。翌14年5月には「鮎川誠生誕66年祭2デイズ」を開催した。

 

15年2月にはシーナさんが子宮頸(けい)がんのため61歳で急逝。
喪失感の消えないまま、シーナさんの遺志でバンド活動の継続を明言。
鮎川さんがボーカルを務め、オリジナルメンバーの奈良敏博、川嶋一秀とトリオで全国を回った。

 

音楽だけでなく、俳優としても存在感を発揮。
フジテレビ「愛情物語」(93年)、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」(01年)には那覇在住のロックの師匠役で出演。
08年には「ジャージの二人」で堺雅人(49)の父親役を演じた。

 

長女はモデルの鮎川陽子(46)、次女の鮎川純子(46、JUNK THE RIPPER)と三女の知慧子(LUCY MIRROR)はロックバンド「DARKSIDE MIRRORS」で活躍中。
私生活では優しいパパの顔をのぞかせていた鮎川さん。
今ごろは天国でシーナさんと再会し、娘達の活躍を祈っているに違いない。