英王室を離脱したヘンリー公爵=王位継承順位5位=とメーガン夫人の米ストリーミング大手Netflixドキュメンタリーシリーズ『ハリー(ヘンリー公爵の愛称)&メーガン』やハリーの回想録『スペア(王位継承者に何かあった時の予備という意味)』が世界中で衝撃を広げている。

 

ハリーはアフガニスタンでヘリコプターに乗務していた時、6つの作戦に参加した。
「戦闘の熱と混乱の中に身を置いている時、25人を人間だとは思わなかった。彼らは盤上から取り除かれたチェスの駒であり、善良な人々を殺す前に排除された悪人だった」。
こうしたあまりにも赤裸々な告白に複雑な波紋が広がった。

 

ハリーの回想録『スペア』は、エリザベス女王というバックボーンを失った英王室にとって致命傷になりかねないインパクトがある。
英王室を離脱したハリーとメーガンが告白するストーリーは、チャールズ国王、ウィリアム皇太子両夫妻をはじめとする英王室サイドから見るのと、自由を求めて米国に逃れた2人との間には天と地ほどの開きがある。

 

ハリーにとってこの物語はカタルシス、すなわち自らのアイデンティティーを王室という桎梏から解き放つ「魂の救済」だ。
しかし「鏡に映った自分自身であり、対極の存在であり、最愛の兄であり、宿敵」でもあるウィリアム皇太子への愛憎、そして『スペア』として生きることを運命づけられた時代錯誤の不条理に対する復讐なのかもしれない。

 

2018年5月、ハリーとメーガンの結婚式をロンドン郊外のウィンザー城で取材した筆者は当時、「白人支配の頂点にあった英王族と、アフリカ系の母親を持つ『奴隷の子孫』の結婚。奴隷解放と公民権運動を前面に出す結婚式に違和感がなかったと言えばウソになる。結婚が悲劇に終わる可能性もゼロではない。愛が永遠に続くことを願う」と寄稿した。

 

王室目線、英国の潜在意識の中にある白人優越思想のプリズムを通したステレオタイプの批判は保守系の英国メディアの見出しを拾うだけでも洪水のように溢れている。
しかし、この物語はハリーという純粋で、感性豊かな1人の男、父親であり夫である人間の目を通して読んだ方が断然、面白い。
これは文字通り、世界で唯一無二の自分探しの旅だ。

 

チャールズ国王、ウィリアム皇太子両夫妻も、「タブロイド」と呼ばれる英大衆紙も、英王室という伝統と制度の代弁者に過ぎない。
英国から王室がなくなれば二束三文の国に転落してしまうと筆者も懸念する。
しかしタブロイドに同調してハリーとメーガンを条件反射的に叩いて日頃の欲求不満を晴らしても何も変わらない。

 

日本の小室圭さん、眞子さんの結婚騒動を見ても時代錯誤の不条理を守ることに何の意味があるのか筆者には分からない。
『スペア』がノンフィクション本として史上最速の発売初日に143万部の売り上げを記録したのはハリーの口から語られる「真実」を多くの人が知りたかったという証でもある。
200万部が発売された米国では早くも増刷が決まった。

 

何せバラク・オバマ元米大統領の回顧録『A Promised Land(約束の地)』より売れているのである。
英王族がこうした回想録を出すのは、離婚歴のある米国人女性ウォリス・シンプソンと結婚するため、王冠を捨てたエドワード8世が1951年に発表した『ある王の物語』(筆者仮訳)以来のことだ。

 

当のハリーからインタビューした保守系英高級紙デーリー・テレグラフのブライオニー・ゴードン記者は「彼は目を輝かせ、現役王族としての最後の日にバッキンガム宮殿で会った時より、ずっと幸せそうで健康そうだった。2017年に初めてインタビューした時の緊張はどこへやら、自分自身にずっと安らいでいるような静かな自信に変わっていた」と報告している。

 

ハリーは『スペア』の中で、フリート・ストリートで働く人々(かつて多くの新聞が本社を構えた通りで英メディアのことを指す)を「間抜けでだらしない恐ろしい集団、低俗な犯罪者、臨床的に診断可能なサディスト」と表現しているが、それでも「より丁寧な表現だ」とゴードン記者は言う。
ハリーにとって「ナンバーワンの敵」は英メディアなのだ。

 

『スペア』を発表した理由について、ハリーは
「王室を崩壊させようとしているのではなく、王室の呪縛から王室を救おうとしているのです。
それを語れば多くの人から磔にされるのは分かっています。
しかしこれは私の使命のように感じています。
だって母を奪い、恋人だったキャロライン・フラック(自殺)を奪い、妻を奪いかけたんだから」
と打ち明けている。

 

最初の原稿は800ページだったが、400ページに削られた。

「2冊の本になったかもしれない。
家族のことを書くとなるとそれなりに大変なんです。
家族抜きで私の物語を語ることは不可能です。
私と兄の間、ある程度は父との間で起こったことでどうしても世間に知られたくないことがあるんです。
なぜなら彼らが私を許してくれるとは思えないから」

「私が偏執狂だと言う代わりに、私と一緒に座ってこの件についてきちんと話してほしいんです。
私が本当に欲しいのは納得できる説明です。そして妻に謝罪してほしい」
とハリーは訴える。

 

これは脅しなのか。
スペインで翻訳版が5日も早く店頭に並んだことや英紙ガーディアンへのリークは妨害なのか、それとも巧妙な販売戦略なのか真相は闇の中だ。

 

ハリーの後ろで糸を引く“陰のプロデューサー”は間違いなく元米女優のメーガンだろう。
生き馬の目を抜く米ハリウッドの荒波にもまれたキャリアウーマン。英タブロイドのプライバシー侵害を訴える一方で、自分たち寄りのメディアやジャーナリストを選別し、注目を集めるため他王族のプライバシーを切り売りするのをためらわない。

 

『スペア』の中で、メーガンが結婚式のリハーサルについてキャサリン妃(現皇太子妃)に電話した際、「何かを思い出せないのは出産直後にはよくあることで“ベビーブレーン(赤ちゃん脳)”よ。ホルモンのせいだわ」と発言し、キャサリン妃が「私たちはホルモンの話をするほど親しくない」と気分を害したエピソードが明らかにされている。

 

「赤ちゃん脳」発言には悪意がないように見えて、メーガンから見たキャサリン妃へのメタファー(暗喩)がさりげなく込められている。
自分自身のキャリアをほとんど持たないキャサリン妃を「赤ちゃん脳」だと見下しているように感じられる。
メーガンのブライズメイドを務めたシャーロット王女のドレスのサイズやタイツ着用を巡って2人のプリンセスは対立した。

 

結局、キャサリン妃が折れ、シャーロット王女は王室のプロトコルに反して生足でブライズメイドを務めた。
この時、キャサリン妃がメーガンに泣かされた、いや泣かされたのはメーガンの方だと大騒ぎのキャットファイトが繰り広げられた。
後にハリーとメーガンが王室を離脱する発火点になった。

 

「赤ちゃん脳」発言は結婚式のあと関係修復のため、ウィリアム皇太子とキャサリン妃がケンジントン宮殿内の自邸に2人を招いた時に飛び出した。
発言にウィリアム皇太子はメーガンを指差して「無礼だ。英国でこういう言動は許されない」と注意した。
メーガンは「差し支えなければ、私の顔に指を近づけないで下さらない」と言い返した。

 

『スペア』によると、メーガンは、騒動は自分のせいではないと感じている。
メーガン自身は米人気司会者オプラ・ウィンフリー氏の独占インタビューでこう答えている。

「ドレスについて腹を立てたのはキャサリン妃の方で、泣いたのは彼女ではなく、私です。
本当に傷つきました。
キャサリン妃はいい人です。
彼女は謝罪したので私は許しました」

 

大学時代に、将来は国王になる運命のウィリアム皇太子に見初められて王室に嫁いでプリンセスになったキャサリン妃が前時代のシンデレラなら、奴隷から解放されたアフリカ系移民の血を引くメーガンはハリーを王室から救い出し、1人の人間としてのアイデンティティーを取り戻すのを助けた現代のシンデレラ。
それがメーガンの描く台本だ。

 

しかしメーガンの常識は英王室や英国では通じない。
英世論調査会社ユーガブの調査(1月上旬)では、ハリーを好意的に見ている英国人は前回(昨年12月)の調査から7ポイントも減ってわずか26%。
2011年に調査を開始して以来、最低水準を記録した。
そして前回より5ポイント増の64%がハリーに対して否定的な見方をしている。

 

ハリーに好意的な見方をしていた若者ですら、好意的、否定的な見方がそれぞれ41%と真っ二つに分かれた。
前回調査では好意的49%、否定的29%と20ポイントもの差がついていたにもかかわらずだ。
ハリーの怒りの矛先になっているウィリアム皇太子の好感度も77%から69%に8ポイントも減る一方、否定的な見方をする人は15%から20%に増えた。

 

『ハリー&メーガン』も『スペア』も英国内ではマイナスの反応が主流だ。
王室支持率も泥沼の内紛劇に嫌気が差したのか60%から54%に低下、否定的な見方をしている人は30%から35%に増えた。
エリザベス女王の死去で支持率が68%まで回復した英王室人気もハリーとメーガンの反乱で急速に冷え込み始めている。

 

英BBC放送の元王室担当記者が「キャサリン妃にはブレーンがないが、メーガンはブレーンを持っている」と語るだけあって、メーガンが優れた戦略家であることに疑う余地はない。
巧妙にウィリアム皇太子とキャサリン妃の人間性に疑問符を投げかけ、王座には矛先を向けない。
兄弟の戦いに勝者はいない。

 

しかし興行的に大成功となったメーガンだけは、ほくそ笑んでいるのかもしれない。

 

メーガンの異母姉のサマンサ・マークルさんがいみじくも「メーガンは王室を分断し、征服する戦術をとっている」と言い当てたように、メーガンはハリーを後ろから操りながら、5月の戴冠式を控え、できるだけ波風を立てたくないチャールズ国王と、ウィリアム皇太子の間に楔を打ち込もうとしている。

 

ハリーはチャールズ国王とまだかすかなクモの糸で結ばれていると信じているふしがうかがえる。
しかし家族内の会話や出来事の暴露も厭わないハリーとメーガンを受け入れる王族などいるのだろうか。
英王室としては2人に形式的な招待状は出すものの、自主的に辞退の理由を見つけてくれることを祈っているに違いない。

 

2021年4月、フィリップ殿下の葬儀がウィンザー城で営まれた時も言い争うウィリアム皇太子とハリーの間にチャールズ国王が入り「頼むよ、息子たち。私の晩年を惨めなものにしないでくれ」と懇願した。
チャールズ国王は戴冠式に向け、和解のシグナルを送り続けてきたが、ハリーは『ハリー&メーガン』と『スペア』の発表を思いとどまらなかった。

 

ウィリアム皇太子はハリーのコテージを訪れ、メーガンのことを「無礼」と罵った。
言い争いはエスカレートし、ウィリアム皇太子はハリーの襟首をつかんで、床に引き倒した。
ネックレスがちぎれた。
ハリーは犬の餌入れの上に倒れ、割れた破片で背中を痛めた。
子供の頃のケンカのようにウィリアム皇太子は反撃するよう促したが、ハリーはそうしなかった。

 

英王室にはメディアに何を書かれても「決して文句を言わず、言い訳もしない」という不文律がある。
チャールズ国王、ウィリアム皇太子夫妻はハリーとメーガンに何を言われても表立っては反論しない。
短期的にはハリーとメーガンの圧勝になっても、長期的にはハリーとメーガンの物語はかつてのエドワード8世とウォリスのように忘れられていくだろう。

 

英王室を離脱したハリーは英王冠を捨てたエドワード8世と同じ道を選んだ。
米人気歌手マドンナ監督の映画『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』では、実はエドワード8世との結婚を望んでいなかったウォリスの葛藤が描かれている。
ハリーはメーガンに亡き母、ダイアナ元皇太子妃の幻影を見ている。
メーガンはハリーにいったい何を求めているのか。

 

ハリーとメーガンが英王室叩きを「商売のネタ」にし続ける限り、2人はエドワード8世とウォリスが陥った同じ罠にハマる恐れがある。
英王室には逃れようにも逃れきれない呪縛がある。
シャーロット王女とルイ王子も『スペア』の桎梏に苦しむ運命にある。
元英王族セレブとして生きることを選んだハリーとメーガンもこの呪いからは逃れられまい。

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