ヒット曲「星のフラメンコ」や時代劇の遠山金四郎役で親しまれた歌手で俳優、西郷輝彦(本名・今川盛揮)さんが20日午前9時41分、前立腺がんのため東京都内の病院で死去した。75歳だった。

 

2011年にがんが見つかり摘出手術を受けたものの、17年に再発。
「奇跡は起こる」と完治を信じ、昨年4月からオーストラリアで最先端治療を受けてきたが、帰国後の同10月に再入院。
そのまま帰らぬ人となり、再びステージに立つことはかなわなかった。
葬儀は近親者のみで行う。

 

【所属事務所コメント全文】

西郷輝彦に関するご報告

 

これまで西郷輝彦を応援してくださった皆様にご報告させていただきます。

 

西郷輝彦(本名:今川 盛揮)が長きにわたり、前立腺がんとの闘いの末、
去る令和4年2月20日午前9時41分、75歳にて都内の病院にて永眠いたしました。
ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。

 

世情に鑑みて、葬儀に関しましてはご遺族の意向により近親者のみで執り行います。

 

皆様のお心の中にて故人への祈りを捧げていただけますことを心よりお願い申し上げます。

 

西郷エンタープライズ 株式会社
株式会社 サンミュージックプロダクション

 

最後まで仕事復帰を諦めず、治療過程をYouTubeで報告し続けた西郷さんが力尽きた。
関係者によると、1990年に再婚した19歳下の夫人や娘ら家族に看取られ天国へと旅立った。

 

元妻の歌手、辺見マリ(71)との長女でタレント、辺見えみり(45)は21日夜、インスタグラムで父の永眠を報告。
死去前日にミュージシャンで音楽プロデューサー、辺見鑑孝(のりたか、48)と対面できたといい、「私と兄の言葉を聞いて大きく頷いたり、最後の力を振り絞って会話してくれたんだと思います」と愛しい時間を振り返った。

 

出演舞台前に訃報を聞き、駆けつけた末娘の女優、今川宇宙(うちゅう、25)はブログで「まだ体温も少し残っていて、呼び掛け続ければまた目を覚ますんじゃないかと思ってしまう程に穏やかな表情でした」と父の亡きがらと対面したことを報告した。

 

10年以上がんと闘い、2011年に前立腺の全摘出手術を受けたが、17年に再発。
20年に去勢抵抗性前立腺がんと診断され、骨に転移するステージ4に進行した。
11回の放射線抗がん剤治療を受けたが、腫瘍マーカー、PSAの数値が急上昇するほど悪化。
日本では未承認の最先端治療を受けるため、昨年4月末にオーストラリアへ渡った。

 

同時にYouTubeチャンネルを開設し、「まだやりたいことがたくさんある。もう少し好きな仕事をさせてほしい」と決意を示した。
以降、定期的に映像で近況を報告。
8月には日本テレビ系「24時間テレビ」に生出演し、「がんが消えた画像をこの目で見た。奇跡は起こります」と語っていた。

 

9月にオーストラリアでの治療を終了し帰国。
復帰公演も予定されたがPSAの数値が高かったため、10月に検査したところ、がんが残っており、そのまま入院。
最後まで退院できなかった。
死去2、3日前に電話で話した知人によると、声に力がなかったという。

 

1947年に鹿児島県で生まれた西郷さんは64年に「君だけを」でデビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞。
66年には♪好きなんだけど…と歌い、手をたたく「星のフラメンコ」が大ヒット。
アイドル人気はすさまじく、橋幸夫(78)、舟木一夫(77)と「御三家」と呼ばれた。

 

本格的に俳優を始めたのは73~77年に主演したフジテレビ系「どてらい男(ヤツ)」。
TBS系「江戸を斬る」の遠山金四郎役など時代劇でも成功した。
私生活では72年にマリと結婚も、性格の不一致で81年に離婚。
90年に一般女性と再婚して3人の娘に恵まれ、新たな幸せをつかんだ。

 

闘病中も積極的に仕事をこなし、2019年にTBS系「ノーサイド・ゲーム」で念願の池井戸潤作品に出演して喜んでいた。
20年のNHK「天使にリクエストを~人生最後の願い~」が遺作に。
再びステージに戻れなかったが、西郷さんの歌声と雄姿は人々の心の中で生き続ける。

 

自宅周辺は静かな雰囲気 訃報が流れた21日午後、東京・世田谷区にある西郷さんの事務所兼自宅には、2016年の出演舞台「花嫁」を手掛けるなど交流があるプロデューサーで演出家の石井ふく子さんから供花が届いた。
沈痛な表情で訪れる一般の弔問客もみられたが、周辺はコロナ禍の影響もあり静かな雰囲気で、本紙などのインターホンによる取材にも対応しなかった。