「慶応の野球はまさに“学問”。
指導者から与えられるだけではなく、当事者である選手同士が考えをぶつけ合うことで洗練されたプレーが生まれているんです」

 

こう話すのは、長年慶応の野球部を見続けてきた「流しのブルペンキャッチャー」こと、スポーツライターの安倍昌彦氏だ。
塾生たちの唸るような声援も味方につけ、ついに夏の甲子園の栄冠を手にした慶応高校。
107年ぶりに王座についた慶応のナインには、他の野球部と一線を画する“知の力学”が受け継がれている。

 

8月23日、超満員の甲子園球場にて行われた全国高校野球決勝で、仙台育英高校を破り優勝した慶応高校。
盤石とされた昨年王者との一戦は、「慶応のプリンス」として話題となった丸田湊斗外野手の初回先頭打者ホームランが始まりを告げた。

 

序盤から慶応がペースを掴む展開の中で、球場全体を覆うような慶応側の声援が仙台育英の守備陣のエラーを誘い、一挙5点のビッグイニングも生まれた。
守っては2年生エースの小宅雅己投手が強打の仙台育英打線を5イニング完封。
9回には準々決勝・沖縄尚学戦で逆転のキーマンとなった元プロ野球選手の清原和博氏の次男・清原勝児選手も代打で登場。
大歓声が起こり、球場全体のボルテージはマックスに(四球で出塁)。
最後は8対2で仙台育英を下し、実に107年ぶりの栄冠に輝いた。

 

優勝後のインタビューで、森林貴彦監督(50)が「慶応が優勝することで、高校野球の新たな可能性とか多様性とか、そういったものを何か示せればいいなと思って」と“改革”の意志を明らかにしたように、今大会では従来の高校野球のイメージにそぐわぬ、「令和の甲子園の形」が示された。

 

その象徴が決勝で史上初の先頭打者ホームランを放ち、試合の流れを決定づけた“美白王子”こと丸田湊斗ら「脱坊主」のさわやかボーイたちの躍動だったろう。
安倍氏が慶応野球の「特徴」を指摘する。

 

「現役OB関係なく、慶応野球部の関係者はみな“野球的おしゃべり”なんです。
野球について悩み、語り合うことを面倒くさがらず、むしろ楽しみながら、自分たちの野球を深め合っているように見えます。

慶応高校は“エンジョイ・ベースボール”を掲げています。
これは単に『笑いながら野球をする』ことだと誤解されることがありますが、決してそうではない。

もちろん、試合で好プレーが生まれた時や、得点が入った時は、素直に喜びを表現しますが、本質はそこではない。
森林監督もダグアウトで選手たちが喜んでいる時でも一緒になって笑ってないでしょう。
慶応がいうエンジョイとは苦しい場面や相手の健闘も含めて、ベストを尽くしながら、主体性を大切にして、野球そのものを楽しむということなんです」

 

慶応高校はもう一つのモットーとして、“シンキング・ベースボール”、つまり「考える野球」を掲げる。
彼らが目指す“自ら考える野球”は、常に会話とともにあり、その延長線上に選手たちの笑顔があるのだという。

 

「今までの多くの野球部は上意下達で、監督やコーチからいただいた“ありがたい理論”を聞き入れて、個々人が指導者の言葉に黙々としたがって練習するのが常でした。
選手同士が会話をすると、私語禁止と否定されてきたようなところがあります。

ところが慶応野球部は違う。
選手たちが既成の論理を疑うところから始まり、そこから語り合いが生まれるんです。
しかも彼らは結論ありきで話さない。
自らが立てた仮説や推論を互いにぶつけ合いながら、そして相手の考えを聞きながら最善の形を見つけようとするんです。
指導者もその理論を否定したりしません。
むしろ一緒になって最適解を選手と考える。
まさに彼らは‟野球という学問”の研究者のようなところがあるのです」(同前)

 

実際に野球部を指導している森林監督の指導方法にも、工夫がみられるという。

 

「監督は『絶対に怒鳴らない』と。
命令に従わせるだけでは自主性は育たないので、練習中に、声を荒げないように拡声器を使って選手と話しています」(高校野球担当記者)

 

一貫して選手たちの主体性が尊重される環境だが、そうした慶応の風土は森林監督が独自に生み出したものではない。
安倍氏がつづける。

 

「かつて慶応大学野球部の監督をされていた前田祐吉さんが、“エンジョイ・ベースボール”を掲げてアメリカの野球の考え方を取り入れ、選手たちと試行錯誤を重ねながら、慶応独自のスタイルを醸成してきた歴史もあるんです。
前田監督のもとで野球を学び、出ていった慶応のOBたちが今指導者になっています。
上田誠慶応高校前監督や、現在の堀井哲也慶応大学野球部監督、社会人野球・ENEOSの大久保秀昭監督もその一人です」

 

自身も慶応高校野球部出身の森林監督は、1992年に慶応大学に進学するも野球部には入部せず、母校で学生コーチとして指導に携わっていた。
その後社会人経験を経たのちに2002年から慶応義塾幼稚舎の教諭に。
2015年に慶応高校の監督に就任してからは、小学校の先生と高校野球の監督の「二足のわらじ」を履いている。
前田前監督が築き上げた“エンジョイ・ベースボール”の精神のもとで野球を学び、受け継いだ森林監督は、さらに次世代へと“知の力学”のバトンを繋ぐ。

 

「選手たちを指揮する森林監督の姿は、まさに“慶応幼稚舎の森林先生”として私の目に映っています。
子供が校庭で楽しそうに遊んでるのを、喧嘩しないか、ケガしないかとハラハラ見ている。
だから笑ってる余裕はないんですよ」(同前)

 

“心身の独立を全うし、自らのその身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う”――創立者・福沢諭吉が『学問のすすめ』で説いた「独立自尊」の精神が、栄光への架け橋となったのか。