ダブル不倫により無期限謹慎中の女優広末涼子(42)の夫で、アーティストのキャンドル・ジュン氏(49)が18日、都内で緊急会見を開いた。
まず1人であいさつし、1時間弱にわたって、謝罪、平和への思い、家族らへの気遣い、メディアの報道やネット上などでの匿名の誹謗(ひぼう)中傷への訴えなどを伝えた。
全文は以下の通り。
キャンドル・ジュンこと、広末ジュンです。
私の妻、広末涼子が多くの方にご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。
そして相手方のご家族、親戚、ご友人、関係者の方にもご迷惑とおかけし大変申し訳ありませんでした。
皆さんにお伝えしたいことの一番は、妻、広末涼子が育児放棄をしたことは、今まで1度もありません。
私にとっても良き妻ですし、なにより子どもたちにとって最高の母であり、家族や親戚の中でも最も頑張る、すてきな女性です。
それだけはまず最初に伝えさせてください。
私の言葉が切り取られて、それが真実となるということを、私は2010年、彼女と結婚してから思い知ったことです。
それはメディアの方が悪いのではなくて、自分が言葉を選ばなかったらそうなるということを想定していなかったからと思って、反省しました。
それは6月11日の月命日において、自分が最後にマイクでいろいろ話をした後に「お楽しみに」という言葉を使った結果、多くの誤解を生んでしまいました。
まず、それを最初に謝罪したいと思います。
その後、確か、あの日の全文というようなこともネットで見ましたが、あの日話したことは、これから話すこととまた同じことになるかもしれませんが、しばらくお付き合いいただければ、と思います。
キャンドル・ジュンは1人暮らしをする際に、何のために生まれてきたんだろうか、何をすべきなのか思い悩み、自問自答する時間を多く持ちました。
その際にキャンドルと出会い、結果的にはどうしようかではなくて、どう生きようか、そういったことを決める指針になってくれたのもキャンドルでした。
自分は普通の人と違うかもしれない。
いちいちいろんなことも、本当これであってるんだろうか、何が正しいんだろうか、って悩むだろう。
でも、生きると決めたからには、自分で自分の命を作ろうと、キャンドルが寿命に例えられる、そんなお話もあるかと思いますが、自分で生きると決めたから自分の命を作ろうと思い、キャンドルを作ることを始めました。
当時のメディアでも「キャンドルアーティスト」として取材いただいたりとか、結婚前はいくつかの深夜番組ですとか、ファッション誌やカルチャー誌にも取り上げてもらうことがありました。
自分の肩書はキャンドルアーティストではなく、キャンドル・ジュンというもの自体が名前であり自分の職業であるということを表現したかったんですが、皆さんの便宜上、キャンドルアーティストという肩書を付けてもらっておりました。
当時の取材は、写真の確認ですとか、原稿の確認などなどが当たり前にあるように行われておりました。
ですが、結婚してからは、家を出てもどこに行っても多くのメディアの方たちがいきなりカメラを向けてこられて、何もしゃべらなくてもあることないことを書かれ、メディアの方たちと自分の関係が大きく変わることになりました。
そんなことは小さいことなんですけど、今日、自分が皆さんに黙っていたことを話そうと思い、この場があります。
自分が妻と出会った頃、その時の彼女は心が不安定で、その後の結婚してからの良き妻であり、良き母である彼女とは180度違う人物でした。
出会ってからは毎晩のように連絡をしてくれたり手紙を送ってくれたり、ありがたいなと思う反面、まだ小さい長男がいることも知っていたので、「長男も一緒に連れてきたらどうだ」って言いました。
当時の長男は、大人の男たちがママに近づいたらすごい形相で、殴ったり蹴ったりするような子でした。
その長男と向き合わなければ、と思って彼女と結婚させてもらいました。
長男の実の父とは友人でした。
「自分が彼の父になるから、強くてかっこいいやつにするから」。
そういう約束をして、一切会わないでほしいとお願いしました。
結婚してからはたくさんのメディアに追われたり、あることないこと書かれたり大変でしたが、家族は本当に幸せでした。
ですが、当時事務所の社長は、彼女とのツーショットを出すことは禁止です、家族のことを語るのも禁止です、そういうルールを約束してください、と言いました。
当時の自分は、そのことに対して本当の意味がわかっておりませんでしたが、とにかく見た目も普通の人とは違いますし、うさんくさいだろうし、入れ墨も入っているし、ピアスも入っているし、マイナスだらけだということは自分でも認識していました。
ですから、極力彼女の事務所や家族たちが望むことをかなえられるように、そう努めました。
キャンドル・ジュンは東京の夜にしか生きていませんでした。
夜の街でさまざまな方たちと出会い、夜の街を照らすことが仕事の主でもありました。
でも、結婚してからは、夜の街にも近づかないようにしよう、夜の仕事も断るようにしよう、お酒はその以前から飲んでいませんでしたが、とにかくあることないことを書かれても子供たちに迷惑がかかるから、いろんなことを変えてみました。
自分は、自分自身のためにキャンドルを作ってともすということを始めました。
自分自身に誠実であるように、自分自身が大人になった自分を見たときに格好悪いやつだなって思われないように、自分自身に誠実であろうと思って、ともすべき時にともすべき場所でともそうと、そんな仕事をしてきたつもりでした。
2001年に、広島・宮島で原爆の残り火である平和の火というものをともさないか、というオファーをチベットのダライ・ラマさんが呼びかけて、聖なる音楽祭という音楽祭があり、お声がけいただきました。
これまでは自分のための火をともす。
ですから当然火をともしたら火を消すことがセットだったんです。
けれども、平和の火をともしたら、この火は消さないでほしいと言われました。
それは核兵器が世界からなくなっていないではないか、戦争も終わっていないじゃないか、それは自分のための火だから。意味はすぐ分かります。
でも、消さないでほしいが、目的になっていませんかって思いました。
だから、自分はその平和の火を消すときに約束をしました。
いつか世界から核兵器をなくして、戦争という争いごとがなくなる日を作る、自分が戦争を終わらせるんだと。
そしてそうなったときに、初めて亡くなった方たちに長い時間はかかったけれども、ようやく皆さんの悲しみを世界が学んで、核兵器がなくなったよと、戦争がなくなったよと、ありがとうと感謝を伝える追悼のともしびをともしたい、と約束をしました。
そこから、アメリカのニューヨークのグラウンド・ゼロにも、広島や長崎や沖縄で、ともしたキャンドルを持って旅をしてともしに行き、その後のアフガニスタンへの報復攻撃があった場所にもキャンドルをともしに行き、終戦記念日には中国に渡り、中国でともし、そういった戦争やテロがあった場所をともすという活動を続けてきました。
キャンドルをともしたからといって、世界の戦争が終わるとは思っていません。
でも自分のできることでその場に行き、そこでいまだに苦しんでいる方たちに会い、話を聞き、すべてを自分ごとにするために旅をしてきました。
そこからこれは誰でもわかると思うんですけど、悲しみが生まれたら憎しみが生まれて、新たな争いが生まれるこの繰り返しをしているだけだと思うんですけど、その悲しみから学び、喜びに変えることができれば、この連鎖は終えることができるんじゃないかって考えました。
じゃあ、どうすればいいんだって一生懸命考えましたが、日本で戦争とかテロの話をしても、「お前偉いな」って言われるだけで、なかなか現実味がありませんでした。
それでもいろんなご縁で伊豆の方で大地震を受けたりですとか、新潟の中越地震とご縁があって、震災の悲しみに向き合うきっかけをいただき、これもまた1つの悲しみではないかと考え、であれば被災地支援をすることで悲しみから喜びへという癖がつくんではないかと思って、そういった活動に切り替わっていきました。
核兵器に関しては、核の平和利用ということの原発というものがあったので、この唯一の被爆国である、そういったことを訴える意味にも、原発はいらないんじゃないかと考え、原発反対運動も参加していました。
これは結婚した後ですが、3月11日の震災、津波、原発事故があり、団体を立ち上げ、福島に通う日々が始まりました。
自分は自分なりに原発反対運動をしてきたつもりでしたが、福島の沿岸部に通って物資提供していく中で炊き出しをしてほしいと言われ、どうしてもそれは1人では行えないから、地域の地元の消防団のおじさんに手伝ってもらった際に、そのおじさんに言われました。
「知ってっか。あれはおめえたち、東京もんの電気作ってたんだぞ」って。
自分はどこかで、広島や長崎や沖縄を巡っていっても、このひどい悲しみは自分がやったことではない。
自分のおじいちゃんたち世代がやったことだって、誰かのせいにしていました。
自分ごとにしたいと思ってずっとやってきましたが、これまでの活動を結局は誰かのせいにしている自分がいました。
でも、自分なりに必死に1人で事故当時から昼ともなく、夜ともなく物資を積み込み福島の沿岸部を通い、自分なりに頑張っていたつもりだった。
それでも「おめえ知ってっか、あれは東京もんの電気作ってたんだぞ」って言われた時にすぐ浮かんだのは、知ってますよって、僕はでも原発反対運動してましたよって、口のここまで出そうになりましたけど、自分は確かに東京に暮らしているし、反対運動してたけど、本気で、本気で止めようと思ってやってたかなって思ったら…格好つけた、原発反対運動の中でも、俺は違うぞっていう格好つけた反対運動をしてただけだったんだなって思って、謝りました。
大したことないかもしれないんですけど、大人になって社会に出て、生きてくってことは、1人1人と何かしらの約束をしてんじゃないかなって、その約束を守らなきゃいけないんじゃないかなって。
今でも悔しくて普通には語れないんです。
それは何でかって言ったら、自分が原発作ってないから、自分が原発いいと思ってないから、そんな気持ちがどこかにあって、どこかで自分のせいじゃないって思いながら謝ってるって、整理がつかないからカッコ悪いなって、そんな複雑な心境になっちゃうんです。
でも、だからこそ福島に通わなきゃって決めて、それからもずっと福島に通い続ける。それからも通い続けてます。
だからって、原発がなくなるかって…。そう思ってます。
12年間ひたすら通い続けて今この状況になった時も、それは福島だけじゃないですけど、熊本だとか長野だとかいろんな被災地域の方たちから、ジュンさん、つらかったらうちおいでって。
自然の中で、子どもたちとのんびりやればいいよって。
たくさん仲間ができたから。
まだまだ福島県民全員と仲良くなるには時間がかかりますけど、それはこれからもずっと福島に通い続けて、福島の人たち全員と、やっぱ、原発いらねえよって、もっと各地域でちっちゃく電気作って、それぞれで作って、それぞれで使えばいいんだよって。
今でも原発がある地域の人たち。福島おいでよって、もし原発になんかあったらこんな大変なことになるんだぞって。
自分の頭の中とか心の中にはたくさんの被災した方たちの経験とか、思いが詰まってます。
でもそこには悲しかったこととか、悔しいこととかではない。
それ以上にそれをどうかまだ経験してない人たちに伝えてほしいんだよって、そう締めくくる言葉ばっかりです。
ありがたいことですけど、悲しみが起きたところに行って、自分ができることをさせてもらって、皆さんが体験したことをもらうことが自分の財産になっています。
悲しみを知る人は強いっていうのは、きっともしかしたら何か犯罪をしてしまった人も、その人は確かに社会的には悪いかもしれないけれども、その家族や親戚は何も悪いことをしてないはずです。
そうした人たちも身を隠さなければいけない。誹謗(ひぼう)中傷を受けるような今のこの状況です。
自分が妻のことを、会社や家族や親族が、一生懸命隠してきた、彼女が急変してしまう理由は、彼女が憧れだった芸能界に若くして入り、その当時の芸能界を自分は中身を知るわけはありませんが、想像するに、今よりも強烈なプレッシャーが。メディアの方たちの取材もそうかもしれません。
テレビや制作サイドの人間たちの「芸能界はこうだから」というプレッシャーがそうなのかもしれません。
ありがたいことかもしれませんが、熱心なファンの人たちの行動もそうなのかもしれません。
そういった強烈な出来事が真面目で優等生だった彼女も、全部何とか頑張って受け止めを求められることに応えようとやっていった先に、心が壊れてしまったんじゃないかなと思います。
彼女はいつもメークなんかしないし、美容だなんだってことも何も気にかけず、ひたすらに家事のことをしたり、子どもたちの学校行事や子どもの友人たちのお母さんたちとの仕事なんかに没頭していて、メークだとか香水なんか全然つけないんです。
でも、過度なプレッシャーがかかったりだとか、不条理なことに出くわしたりとかそうなってしまうと、濃い化粧をして派手な格好をして、眠ることができず、常に何かを書いていなければ心が収まらず、誰かに連絡をしたり、豹変(ひょうへん)してしまうんです。
結婚してから何度かそういうことがありました。
自分が結婚したからには、もうそんなことはないだろうと思っていましたが、何度かあった際も、事務所は「ひたすら今は我慢するときだ、隠さなければいけない」、家族たちも、彼女が社会的に不条理なことをしていてしまっても黙って見守るしかできない。
特に自分や、彼女の事務所の社長よりも、大変だったのは彼女の母だと思います。
本来であれば、おかしなことをしたらしかるのが母だと思いますが、しかることで彼女が遠ざかってしまう。
そういった状況に立った彼女にものを言う人を、彼女は遠ざける、逃げてしまう。
そういうこともあったので、彼女の母はずっと、どんなことがあっても耐えて、自分の子どもたちの面倒を見に来てくれていました。
彼女の親戚たちもそうです。
彼女の友人たちもそうです。
いろいろ言ったら、もっと彼女がひどい人になってしまって、事情もわからない人たちに助けを求めてしまうだろうと。
そうなってはいけないから、彼女が気晴らしにって言ったら、「朝までカラオケ付き合うよ」とか、「海に行くのも付き合うよ」って、「なるべく1人にしないほうがいいから」って。
自分もそういった場面の時に戸惑いもありましたが、それまで彼女を守ってきた皆さんのルールに従って、どんなことがあっても自分の友人にも家族にも誰にも言わず、自分の中に留めてきました。
うちには、家にも、自分の電話にもメールにも、会社にも、うちのお店にも、スタッフにも、あらゆる脅迫電話や脅迫ファクスや手紙がずっと来ていました。
かつてイベントを2011年の1月に渋谷で開催した際は、渋谷警察署に私の殺害予告が入り、20~30名の警察官が来て、今すぐイベントをやめろとも言われました。
殺害はされることはありませんでしたが、その1件、それ以上犯人は誰なのか、ということを追求することもされませんでした。
さまざまにやってきたカミソリの刃や拳銃の弾や脅迫文などは渋谷警察に出して相談しましたが、犯人が誰であるかというところまで追求することはありませんでした。
最近ではアナログな形とは違い、メールやSNSなどに匿名でのさまざまな誹謗(ひぼう)中傷が送られてきます。
メディアの方たちは、誰かわからない人たちも、いきなり自分にカメラを向けてきて、テレビで流したりメディアに流したりしています。
匿名の方たちが送ってくるコメント、それも確かにつらいです。でもメディアの方たちが、かつての正しいのかそうでないのかわからない情報が残っている。
それをもとに、さもそうだというように書かれて、それも自分にとっては何ら変わらないものだと思っています。
自分が被害者だということを言うつもりはありません。
なんで今日こういう時間を持ったかというと、次男や長女は、長男と自分が血がつながっていないということはまだ知りませんでした。
一生懸命、次男の心の成長を見て、折を見て話そうと思っていました。
長女も多感な時期を越えて、その時がくれば話そうと思っていました。
こんな形で下の子たちがうちの事情を知り、本当かどうかもわからないことを多数目にして、何も悪いことをしていないうちの子どもたちはどうやって外を歩けばいいんでしょうか。
うちのご近所さんも、事務所のご近所さんも、代々木上原の長年お付き合いの方たちも、「大丈夫? ジュンさん」って気づかってくれますけど、「ジュンさんの味方だよ」とか言ってくれますけど、自分じゃないんです。
うちの子供たちと、相手方の子供たちの、まだ何も選択もできず、支障もできない子供たちのことをどうか、今の日本のメディアの皆さん、芸能界の皆さん、テレビ局の皆さん、新聞社の皆さん、ネットでメディアを持っている方々、自分を匿名のままで意見を言う皆さん、考えてみてほしいんです。
今福島の復興って言っても、風化していくことは否めないと思ってますが、世界では、そして日本のメディアでも、SDGsって、みんなしきりに取り上げています。
テレビやメディアの皆さん、SDGsの意味って何ですか。
自分はテレビだとか、メディアに出るための事務所に所属していません。
ですから、こうして1人で慣れない記者会見を開きました。
そこにみんなこうやって集まってきてくれています。
皆さん、お願いします。どこかだけを今日切り取っても構いません。
でも必ず皆さんの中の誰かが、この記者会見全てを流してくれるはずです。
その時皆さんも自問自答してみてください。
あなたたちが子供だった頃、学生だった頃、どういうメディアの仕事をしたかったか、どういう記者になりたかったか、どういうカメラマンになりたかったか、どんなことをテレビで扱いたかったか、自問自答してみてください。
どこの局も使わなかったとしても、ワイドショーだとかに出ている司会者の皆さん、コメンテーターの皆さん、自分に会いに来て、自分の話を聞きましたか。
自分の子供たちや相手の子供たちのことを、わが子のように置き換えて考えてものを言っていますか。
大手の企業が何か不祥事を起こしたら、どんな部署であろうがその会社のトップたちは記者会見を開き、謝罪するということが今の常識だと思います。
自分が結婚した時に、その前までのメディアの方たちは、写真の確認や自分のインタビューの確認をしてくれていました。
でも、報道や芸能系の方たちは一切そんなこともなく、露出していました。
そのメディアが悪いんじゃない、同じ会社じゃないですか、同じ新聞社じゃないですか。
これは芸能系じゃないから関係ないって言うんですか、カルチャー紙もファッション紙も、同じ会社に芸能人のことをいろいろ書く部署ありませんか、同じ会社じゃないですか。
もう1回考えてみてください。
自分たちが子供の頃、大人たちが作る社会が本当にこれでいいのか。
今、テレビでギャラをもらって働いているタレントの皆さん、あしき風習を受け入れることが、あなたたち個人の正義ですか。
そして誰かのせいにずっとしていくんですか。
自分が子供だった頃の、今自分が大人としてその芸能界にいて、これでいいのかって問うてみてください。
その上でうちの広末家の話題を口にしてください。
キャンドル・ジュン、広末ジュンのことを何とでも書いてください。
ずっと自分は新潟の中越地震に行っても、広島に行っても、長崎に行っても、沖縄に行っても、戦争体験をしていないですし、被害者でもない、被災も受けてないから被災者でもない。
だから、戦争を体験した人たちの気持ちは分からないっていう気持ちを大事にしてきました。
災害にあったことが、体験がないから、それを大事にしてきました。
今、自分や相手の子供たちは、自分と自分の妻のせいで、妻の不倫相手のせいで、とんでもない被害者になっています。
皆さんだけのせいとは思いません。
自分がもっと早く彼女を止めていればよかった、もっと早く鳥羽氏の自宅に行っていればよかった、メディアよりも先に止めることができていれば、こんなことにはならなかった。
自分にも責任があります。
でも、どうかお願いします。
こうして多くのメディアの方が集まってくれて、ここまでの話を、どこをどう切り取って出すか、それをくだらないと思うかもしれませんが、広末家のことに関心を持っている人たち、しっかり見てください。
できればこの記者会見をもって、もう、このプライベートに関することでメディアに出るようなことはしたいとは思っていません。
匿名でいろいろ書かれる方、できればやめていただきたいなと思いますが、脅迫文を送ったりとか、そういうことも自分へはいいですが、会社とかスタッフには送ってほしくなくて、お願いしたいですし、これだけさらけ出してもなおそれが止まらないのであれば、それを理由に次は私が命を絶とうと思います。
これを脅迫と思ってもらっていいです。
でも、かつてあったと思います。
心ない誹謗(ひぼう)中傷や匿名での言葉からいじめを受け、亡くなったという人がたくさんいます。
それらをどう取り扱うか、人が死んでしまったら、途端にメディアの人たちは「心の相談は」というものばかり出して、なぜその人が死んだかというところは追求しませんよね。
だから今、この時間に説明しました。
自分はもう1回言います。日本は唯一の被爆国であり、平和憲法を持つ国です。
こんなに豊かで助け合う、そんな国はないはずです。
なぜなら、長く続いた戦国時代があって、その後の長く平和だった江戸時代があるからじゃないでしょうか。
その時に育まれた、お互いさまって助け合う文化、殺し合いを終えた、そういう文化が今でも根付いていて、どんなに不条理なことがあっても悲しいことがあっても、助け合うことの方を優先することがこの日本の文化じゃないかって。
自分は広島や長崎や沖縄や日本中を旅して、被災が起こった場所に行って、体験した人たちに出会って、悲しみから憎しみにという人たちも憎しみを持っていては生きられないから、慈愛の心を持ってそれでも生きてるっていう人たちと出会ってきたから、自分も今の出来事を憎しみに変えることはしてはいけない、常に相手のことを思いやらなければいけないって、そう思い、もともとろくでもないやつですから、いまだに心の中には悔しい思いもたくさんですが、それでも多くの約束してきている人たちと、ちゃんと約束を果たしたい。
いつか広島や長崎の人たちのおかげで世界が学んで核兵器がなくなり、戦争がなくなり、核の平和利用ということであった原発、それも福島の人たちから世界が学んで、そうではない省電力が当たり前になり、福島に世界中からの感謝が集まる。
そんな日を迎えられる時まで、どんなことがあっても生きるって、そう約束してますけど。
でも何よりも自分の幸せは、自分の子供たちと自分の妻がいる家が一番幸せです。
だからいろいろ謝りますから、ものを言えない子供たちの今を、相手方の家族や関係者の今を、これ以上追求しないでください。お願いします。
自分は結婚してからもうメディアに出ないと決めましたけど、福島での活動のことは伝えなきゃいけないからって、毎月の月命日は毎月やってますけど。
復興住宅でやったり、子供園でやるから、部外者の人を呼べない時もあります。
だからこそ、メディアの人は来てくださいって呼んでいました。
6月11日の月命日も、福島のメディアの人は来てくれていました。
自分は最後にあいさつをした時に、今のように自分が広島や長崎で約束したこと、「おめえたち東京もんの電気作ってたんだぞ」と言われた時に謝ったこと、その謝罪の気持ちで今もこうして福島に通っていること。
今ではこうやって、自分だけではなくて、たくさんの福島の仲間たちが月命日を作ってくれることへの感謝。
そんな話をとうとうと話していました。
だから、自分のプライベートのことで世間を騒がしていることがどれだけくだらないことか、そんなことで騒がせていてすいませんとも言いました。
その日にようやく相手方の奥さんの居場所が分かったから、これからけじめを取りますって言いました。
奥さんの居場所が分かったからとはみんなには言いませんでしたが、ちゃんとけじめつけますって。
またそうやって、自分のプライベートでにぎやかにしますけど、楽しんでくださいって。
そしたら「けじめつけます。お楽しみに」ってなりました。
福島のメディアの人たちは、自分のプライベートのことではなくて、この月命日がどうやって二本松の人たちが集まって、この寺フェスというイベントを作り上げたか。
どういうメンバーで月命日のイベントをしたかって、そういうことをちゃんと取材してくれました。
福島の人たちは強くて、かっこいい人たちばっかりです。
だからって福島に引っ越そうというか、そういうことではないんですが、もし今後も何か自分に聞きたいことがあるのであれば、その時に来てください。