「宮崎駿が長年にわたって築いてきた芸術性と物語の遺産は、語り尽くすことができない」

 

映画監督の宮崎駿氏(80)をこう激賞しているのは、アメリカの代表的な老舗アート誌のひとつ「ARTnews」(21年3月24日付)。
米アカデミー長編アニメ映画賞(02年)及び同名誉賞(14年)、そのほかベルリン国際映画祭金熊賞(02年)など無数の賞に輝く宮崎氏に対する海外の評価は、極めて高い。
また彼が共同設立したスタジオジブリは、米映画批評サイト「ロッテン・トマト」などで多くの作品が高得点を得ている。

 

アニメーション(animation)ではない「アニメ(anime)」、つまり日本アニメは国内で一般に知られてる以上に世界のサブカルチャーへの影響力が大きい。
Netflixオリジナルアニメ『Yasuke ―ヤスケ―』にFlying LotusやThundercatらヒップホップやエレクトロニカ系の先鋭的なアーティストが参加するなど、ジャンルを越えた展開も注目を集めている。

 

「宮崎」と「ジブリ」の名は、世界でそんな日本アニメを代表するトップブランドだ。
ところが今年に入って、約6年半ぶりの最新映画が英語圏のメディアでこれでもかとコキ下ろされている。
その作品とは、ジブリ初の長編フル3DCG映画『アーヤと魔女』。
監督は宮崎駿氏ではなく、息子の宮崎吾朗氏(54)だ。

 

特に評価が厳しいのは、映画批評サイトの「IndieWire」。
2月5日付記事で、「このアニメは、あのぶざまなキリストのフレスコ画に等しい。あの大失敗はまだ人間の手触りが皮肉な魅力になっていたが、(『アーヤと魔女』には)それも欠けている」と酷評した。

あの「フレスコ画」とは、12年に素人の悲惨な修復が世界で失笑されたスペインのキリスト像のことだ。

 

そのほか「『アーヤと魔女』は愛せないキャラクターだらけの、醜くて中途半端な映画だ」(「engadget」2月12日付)、「アニメの批評家たちはPixarとジブリのどちらがより才能あるアニメスタジオか長く討論してきた(略)。だが後者が初のフルCG映画を作った今はもう、比較にならない。『アーヤと魔女』はほぼあらゆる面で劣っている(略)」(「Variety」1月31日付)など、手厳しい評価が並ぶ。

 

『アーヤと魔女』の舞台は、現代より少し時代が遡ったイギリスと思われる田舎町。
魔法を操る怪しげな中年男女に引き取られた孤児の少女アーヤが、喋る黒猫とともに奮闘を繰り広げる。
原作者は宮崎駿氏監督の『ハウルの動く城』(04年)と同じイギリスのファンタジー作家、ダイアナ・ウィン・ジョーンズだ。

 

日本では昨年12月30日に日本のNHK総合テレビで初放送。
今年4月29日から劇場公開が予定されていたが、緊急事態宣言の発令にともない公開延期となった。
海外では今年2月にカナダ、アメリカなどの劇場及びHBO Maxで公開。
4月6日からはBlu-rayも販売されている。

 

ストーリー構成やキャラクターに関する批評は、ネタバレになるので避けておこう。
ほかに多くのレビューが特に強調しているのは、3DCGへの不満だ。

 

冒頭で紹介した「ARTnews」は、宮崎駿氏に対する賛辞の後でこう述べた。
「ジブリ初のフルCGへの進出は不気味なアメリカの初期のCGアニメ(略)、自動生成された奇怪な子供向けYouTube動画(略)と並べられ、即座に酷評された」
「アーヤと彼女の母親は(略)マテル社の人形のように見える」
「(CGは)Pixarがやったように新しい美学をもたらすためでなく、予算節約のために導入されている」。

 

また前述の「engadget」は「CGキャラクターの動きは固くて生気に欠け、表情は低予算の子供向けYouTube動画のようだ」、ほかにも「平坦で弱々しいCGのせいで、ジブリを有名にしている魅力的なアニメの美学がほとんど感じられない」(「Vox」2月3日付)、「最も残念なのはアニメーションだ」(「New York Times」2月5日付)といった調子だ。

 

興味深いのは前述の「IndieWire」と「engadget」が共に、かつて宮崎駿氏がAIによるCGアニメを批判した言葉を引用している点だ。
これは、16年に放送されたNHKドキュメンタリーでの発言。
ドワンゴの川上量生会長(当時)がAI学習で自動生成されたグロテスクな生物の動きをプレゼンテーションしたところ、宮崎駿氏は「極めて不愉快ですよね」「極めて何か生命に対する侮辱を感じます」と一喝した。

 

「engadget」はこの経緯と宮崎氏の発言を紹介しつつ、
「私は『アーヤと魔女』について、そこまで評するつもりはない。美学に対する試みはある。だが貧しいストーリー描写と素人っぽいCGへのアプローチのせいで、台なしになっている」と続けた。
一方の「IndieWire」は、「『アーヤと魔女』(略)を観れば、その日に宮崎が感じたことがわかる」とまで書いている。

 

米誌「Under the Radar」は、4月7日付の記事で「Wish.com(格安で知られるネット通販業者)で『魔女の宅急便』を3ドルで注文して、代わりにこれが送られてきても驚かないだろう」と茶化した。
廉価なコピー品のようだと暗に示唆しているわけだ。

 

『魔女の宅急便』やほかのジブリ作品との共通点も、複数のレビューで指摘されている。
「Vox」2月3日付は「恐らく冴えないビジュアルを紛らわすために、なじみのあるジブリの特徴をコラージュしたように感じられなくもない」、また前述の「ARTnews」は「小さな黒猫を連れた元気のいい魔女は、『魔女の宅急便』を思い出させる。これはジブリの模倣作(パスティーシュ)といってもいい」と評した。
「ARTnews」はさらに「もっとも苛立つのは、宮崎吾朗は(ジブリの)偉大な遺産の正しい相続者ではないことだ(略)」として、身内のネポティズム(縁故主義)まで批判の俎上に載せている。
「忖度」がない海外メディアの批評は、あたかもジブリブランドの終焉を予告しているかのようだ。

 

「ロッテン・トマト」での評価は、歴代ジブリ作品のうち最下位の31/100。
それまで43/100で最下位だったのは、同じく宮崎吾朗氏の初監督作品『ゲド戦記』(06年)だ。
『ゲド戦記』はジブリ作品の興行成績ランクで第7位と健闘したが、海外レビューサイトでの評価は低い。
18年に亡くなった原作者のアーシュラ・K・ル=グウィンも自身のウェブサイトで、「映画は多くの部分で一貫性がなかった」などと批評していた。
『アーヤと魔女』の原作者ジョーンズは11年に亡くなったが、今回の映画を観たらどんな感想を持っただろうか。

 

ただしネガティブなレビューが多かったのは事実だが、もちろん肯定的な意見がないわけではない。

 

例えば「Los Angeles Times」(2月5日付)は、こんな具合だ。
「背景の質感と精巧なプロダクションデザインは、ジブリの映画に典型的な複雑さを維持している」
「ジブリのトップレベルには遥かに及ばないにしても、空想的な楽しさがないわけではない」。

また香港の英字紙「South China Morning Post」(2月9日付)は、「宮崎吾朗の作品(略)は想像力あふれる父親の作品に比べ常に退屈であり、『アーヤと魔女』もその点で違いはない。だがしっかりした映画作りがなされており、子供とアニメファンは楽しめるだろう」とした。

 

厳しい海外メディアの洗礼を浴びている宮崎吾朗氏の新作。
日本アニメのトップブランドの将来を占うこの作品を、国内メディアがどのように評価するのか注目したい。