「眠狂四郎」「古畑任三郎」などテレビドラマの存在感ある演技で親しまれた俳優の田村正和(たむら・まさかず)さんが4月3日午後4時20分、心不全のため東京都内の病院で死去したことが18日、分かった。77歳だった。京都市出身。

 

生前田村さんが所属していた新和事務所の関係者は取材に応じ、生前の田村さんの様子を明かした。

 

今年2月に電話で連絡をした際、田村さんはかぜをこじらせた様子で、検査入院すると明かしていたという。
せきが出ていたといい、「空(から)せきなんだよね」と話していたという。

 

同月中に入院後はリハビリをしていたという。
「最後に話したのがその2月の電話でしたが、元気な様子だったので驚いています。奥さんも、まったくいつも通りの様子でした。そういう(亡くなる)ことになるとは、全く思いませんでした」と振り返った。
また「新型コロナウイルスの感染ではなかったと思います。PCR検査も何度も受けていたので」と明かした。

 

田村さんはもともと心臓に持病があり、90年には2週間、97年には数カ月休養したことがあった。
新和事務所関係者は「かぜをこじらせて、免疫も弱まっている部分があったのかもしれません」と推測した。
田村さんは3年前から仕事はしておらず、「十分やり終えた」と話していたという。
大きな病気にかかった様子もなかったという。

 

葬儀・告別式は親族で行っており、田村さん本人の希望で、お別れの会などは行わない予定という。

 

田村正和さんの弟で俳優の田村亮さんは18日、自身のホームページでコメントを発表した。
コメントは以下の通り。

兄 田村正和が天国に旅立ちました。

4月3日、正和兄貴の奥さんからの突然の知らせで一瞬何の事か理解出来ず茫然(ぼうぜん)としました。

私の妻が3カ月程前に兄の奥さんと話をした時も 兄は元気で散歩していると聞いていたのに…。

兄は幸せな人生を送ったと思います。仕事でもプライベートでも何事も自分のライフスタイルを崩さず全うしたと思います。

葬儀も派手にせず静かに見送ってくれと家族に言っていたそうです。

生前、兄に関わって下さった方々に、私からも心より厚く御礼申し上げます。 合掌

田村亮

 

「古畑任三郎」をプロデューサーとして手掛けた石原隆・フジテレビ取締役が追悼のコメントを出した。

「古畑任三郎」の企画を始めたとき、真っ先に名前が思い浮かんだのが田村正和さんでした。

収録が始まり、飄々(ひょうひょう)と、そしてねちっこく犯人に迫っていく古畑任三郎を演じる田村さんを見たとき、やはりこの方にお願いして良かったと思ったのが、つい昨日のように思い出されます。

田村さんなくして、あのドラマはありませんでした。

田村さんとは、そのほかにも「ニューヨーク恋物語」、「総理と呼ばないで」、「さよなら、小津先生」など、多くの作品でご一緒させていただきました。心より感謝しております。

この度の訃報(ふほう)に接し、とても残念な思いでいっぱいです。

この場を借りて謹んで哀悼の意を表したいと思います。

株式会社フジテレビジョン 取締役 石原隆

 

時代劇映画のスター、阪東妻三郎さんの三男として生まれ、高校在学中の1961年に木下恵介監督の映画「永遠の人」でデビュー。
「太閤記」「源義経」「新・平家物語」などのNHK大河ドラマや、数多くの映画に出演した。

 

特に、72~73年のテレビ時代劇「眠狂四郎」での陰のあるニヒルな演技は人気を呼び、その後も断続的にスペシャル版の続編が作られた。

 

80年代には、子どもたちに振り回される小学校教師役の「うちの子にかぎって…」をはじめ、「子供が見てるでしょ!」「パパはニュースキャスター」などのコメディードラマに出演。
従来のダンディーなイメージを覆すコミカルな演技で新境地を開いた。

 

94年スタートの刑事ドラマ「古畑任三郎」シリーズでは、劇中で突然視聴者に話し掛けるなどけれん味あふれるしぐさや言い回しが大きな話題に。

 

2009年のドラマ「そうか、もう君はいないのか」での妻に先立たれた男性の孤独を表現した演技が、モナコ公国のモンテカルロ・テレビ祭で高く評価され、テレビフィルム部門の最優秀男優賞を受賞した。

 

私生活に関してはオープンにしない主義を貫いたが、06年に亡くなった長兄の高廣さん、弟の亮さんと共に俳優の「田村三兄弟」として知られ、ビール会社やクレジットカード会社のテレビCMでも親しまれた。