「愛は勝つ」が大ヒットした歌手のKAN(かん、本名木村和=きむら・かん)さんが死去したと所属事務所が17日、発表した。
61歳。福岡市出身。
葬儀はすでに親族とごく近しい人たちで済ませている。
今年3月に日本では数十例ほどしか症例がない「メッケル憩室がん」を公表し、闘病していた。
所属事務所「アップフロントクリエイト」は、公式サイトを通じ「弊社所属アーティストKAN(本名 木村和)儀、かねてより病気療養中のところ、令和5年11月12日午後6時29分に永眠いたしました。享年61歳。ここに生前のご厚誼を深謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と発表した。
KANさんについて、「1987年にデビューし、36年の長きに渡りシンガーソングライターとして活動してまいりました」と紹介し「今年『メッケル憩室癌』と診断され、3月より療養生活に入り、入退院を繰り返しながら活動再開に向けて治療に励んでいた10月には、留学したこともある想い出の地フランス・パリを訪れ、最後まで復帰への想いは途切れることはありませんでした」と、KANさんの復帰への強い思いを明かした。
「今まで数多くの作品を創作することができましたこと、これまでKANに関わってくださった皆様、応援してくださった皆様に心より感謝申し上げます」と感謝を記し、「通夜及び告別式は近親者にて執り行いましたことを併せてご報告いたします」と結んだ。
【事務所コメント全文】
弊社所属アーティストKAN(本名 木村 和)儀、かねてより病気療養中のところ、令和5年11月12日午後6時29分に永眠いたしました。享年61歳。ここに生前のご厚誼を深謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
1987年にデビューし、36年の長きに渡りシンガーソングライターとして活動してまいりました。
今年『メッケル憩室癌』と診断され、3月より療養生活に入り、入退院を繰り返しながら活動再開に向けて治療に励んでいた10月には、留学したこともある想い出の地フランス・パリを訪れ、最後まで復帰への想いは途切れることはありませんでした。
今まで数多くの作品を創作することができましたこと、これまでKANに関わってくださった皆様、応援してくださった皆様に心より感謝申し上げます。
通夜及び告別式は近親者にて執り行いましたことを併せてご報告いたします。
令和5年11月17日 株式会社アップフロントクリエイト
KANさんは昨年秋に数週間腹痛が継続したことから検査をしたところ、がんが判明。
予定していたツアーを中止した。
今年4月に再入院、5月に退院を報告していた。
今月3日には一部楽曲のストリーミング配信を開始することを公式ホームページで発表。
自身のSNSは7日まで更新されていた。ビートルズの「NOW AND THEN」のミュージックビデオの感想が最後の投稿となった。
04年からパーソナリティーを務めていたSTVラジオ「KANのロックボンソワ」は当初代打パーソナリティーを立てて週1回の放送を続けていたが、10月からは第1週のみの出演となることを発表。
ただ、今月4日深夜の放送は、治療に専念するため欠席した。
小学生でクラシックピアノを習い始め、毎日3時間の練習が日課に。
また、友人がきっかけで毎週日曜には教会で賛美歌を歌っていた。
中学に入ると友人と4人編成のバンドを結成し、ビートルズの楽曲をコピーした。
部活は当初軟式テニス部だったが、退部した後、ブラスバンド部に入部し、アルトサックスを吹いていた。
高校入学後にピアノによるオリジナル曲作りを開始。
ロックバンドも結成した。
法大に入学を機に81年に上京。
再びバンド活動をし、コンテストに出場しはじめた事がきっかけで、デビュー。
大林宣彦監督の映画「おかしなふたり」のサウンドトラック製作が初の仕事となった。
87年4月に「テレビの中に」でデビュー。
90年7月に発売したアルバム「野球選手が夢だった」に収録された楽曲「愛は勝つ」が、大阪のラジオ局FM802で集中的にオンエアされて注目を集め、9月1日に通算6枚目のシングルとして発売された。
当初の生産枚数はわずか1万枚だったが、フジテレビの人気番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の挿入歌として放送されたことがきっかけで大ヒット。
オリコン週間ランキングで、8週連続で1位を獲得。
200万枚超えのダブルミリオンとなった。
91年の大みそかには、日本レコード大賞「ポップス・ロック部門」の大賞を受賞。
NHK紅白歌合戦に初出場し、モーツァルト生誕200年記念で、モーツァルト風衣装で「愛は勝つ」を熱唱した。
99年には、97年の全国ツアーのサポートメンバーを務めたバイオリニストの早稲田桜子さんと結婚した。
2001年から約3年間音楽活動を休業し、02年に「フランス人になりたい」とパリに移住した。
現地では音楽学校に入学し、クラシックピアノを基礎から勉強し直した。
04年に帰国し、再び国内での活動を再開した。
11年の東日本大震災後には、所属する事務所「アップフロント」グループが復興支援プロジェクトを立ち上げた。
「愛は勝つ」をタレント131人で歌ったチャリティー曲を制作し、収益全額が寄付された。
KANさんは、その中心人物だった。
コロナ禍でも再び、KANさんほか同事務所のタレントで「愛は勝つ」をリモート歌唱した。
♪心配ないからね、で始まり、♪信じることさ、必ず最後に愛は勝つ――の歌詞は、日本中に勇気を与え続けてきた。