「SMAP解散騒動の全内幕」で暴露!!派閥対立の張本人はジャニーさんだった!?


世間を騒がせたSMAPの分裂・解散騒動も、現在はすっかり落ち着いている。
分裂は回避され、テレビではSMAPのメンバーが以前と変わらぬ笑顔を振りまいている。

だが、本当にすべてが解決したのかといえば、そうではない。
メンバーの事務所残留が決まった後も、メリー喜多川副社長を批判する中居の言動や、修復不可能なほどこじれてしまったメンバー間の不仲などが報じられているように、水面下では様々な問題がくすぶり続けている。

そんな中、あの解散騒動の真相を検証する本が来週、出版される。
『SMAP解散騒動の全内幕』(常田裕、宝島特別取材班宝島社/宝島社3月28日発売)だ。

タイトル通り、解散騒動の背後でいったい何が起きていたのか、という内幕はもちろん、SMAPのメンバー間の関係、ジャニーズ事務所の内部事情、メリー喜多川副社長と飯島三智マネージャーの素顔、さらに、ジャニーズにふりまわされるスポーツ紙やテレビ局の内情まで……。
これまで、どこも触れようとしなかったジャニーズタブーの全貌を解き明かした一冊だ。

同書には、SMAP問題を取材し続けてきたリテラ編集部も全面的に情報提供をしているのだが、実は当サイトでも報じていない、ある重要な人物の関与についても書かれている。

ほかでもない、ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川のことである。

一連の騒動を振り返ってみればわかるのだが、ジャニー氏の名前は不自然なほど登場してこない。
ジャニー氏の名前がようやく登場するのは、あの“謝罪生放送”が行われる前夜のこと。
キムタクを除く中居ら4人のメンバーが集まり、事務所に対して正式に謝罪をしたという場面だ。
「週刊文春」(文藝春秋)が、その席の様子をこう報じている。

〈ジャニーさんは平身低頭の4人に対して『だって(自分は)辞めるって聞いてないもの。辞めてないんだから、戻るということもないよ』と優しい言葉をかけて受け入れたといいます〉

これが翌日の生放送での「今回、ジャニーさんに謝る機会を木村くんがつくってくれて、いま僕らはここに立てています」という草彅剛の発言につながるわけだが、謝罪を受け入れた席での「辞めるって聞いてないもの」という言葉には、当事者にしてはどこか他人事のような響きがあったことに気づくはずだ。

実はこのジャニー氏の態度に、今回の騒動を読み解く鍵がある。
ハッキリ言えば、独立騒動の原因となった後継者をめぐる「ジャニーズの派閥争い」を生み出した張本人こそ、ジャニー喜多川氏なのである。

もともと、ジャニーズ事務所には3つの派閥があるとされてきた。
メリー氏が全面バックアップする藤島ジュリー景子副社長率いるジュリー派と、SMAPを育てた飯島派、そして特別な“聖域”として中立を保ってきたジャニー喜多川直轄のジャニー派だ。

この中で、「メリー・ジュリー派」と「飯島派」の対立が、独立騒動に発展したわけだが、もともと「飯島派」は、そこまで強い政治力をもっていたわけではない。

確かに、飯島氏の手腕は誰もが認めるところだ。
しかし逆に言えば、飯島氏にはSMAPしかいなかった。ジャニーズ事務所の後継問題でいえばジュリー氏が継ぐことは確定事項であり、飯島氏自身、そこまでの野望はなかったはずなのだ。

このパワーバランスを崩したのが、ジャニー氏なのだ。
以前から飯島氏のプロデュース能力を高く評価していたジャニー氏にしてみれば、ジュリー氏の手腕には物足りなさがあり、将来的には「ジュリーはオーナー、現場のメイン・プロデュースは飯島氏」という青写真を描いていたのだろう。

たとえば、2005年に設立された子会社「ジェイ・ドリーム」は、代表取締役はジャニー氏ながら、実質的には取締役となった飯島氏のためにつくられた会社といっていいだろう。
メリー氏やジュリー氏の制約なしに、飯島氏が自分の裁量で仕事ができるようにと、ジャニー氏が許可したと言われている。

さらに言えば、飯島氏にSMAP以外のグループのプロデュースを担当させはじめたのもジャニー氏である。
10年に赤西仁が脱退したKAT-TUNや、NEWSを脱退してソロになった山下智久を手始めに、12年から13年にかけては、ジャニー派のジャニーズJr.や、“スペオキ”と言われる中山優馬はもちろん、それまでジュリー派と見られていたタレントのプロデュースも次々と飯島氏が担当するようになっている。

飯島氏も期待に応えて手腕を発揮し、たとえばファンの間では高い人気を誇りながら、一般への浸透度で苦戦していたKis-My-Ft2のプロデュースでは、SMAPとのバーターで露出を増やす一方、中居にグループ内ユニット「舞祭組」をプロデュースさせるなど次々と仕掛けを成功させている。

ジャニー氏のバックアップを得て勢力を拡大し続ける飯島派を、メリー氏やジュリー氏がどう見ていたかは想像に難くない。
すぐさま飯島派に対する激しい切り崩しがはじまり、対立の影響はいたるところに現れ出した。
それぞれの派閥に所属するグループはテレビやコンサートで共演することはほとんどなくなり、テレビ局は調整に四苦八苦することになる。

そしてこの時期、実はタレントたちに対しても、派閥の踏み絵を迫るような打診があったという。

「一応、担当の移動が決まる前の段階で、タレントたちにも直接、希望を聞いていたそうです。
あるグループのメンバーは、マネージャーから『おまえら、ジュリーさんで行くのか、ジャニーさんで行くのか、どっちかを選べ』と聞かれたそうです。
飯島担当になっていたKAT-TUNが再びジュリー派に戻ったのも、自分たちで選んだからなんです」(芸能プロ関係者)

注目すべきは、質問が「飯島派かジュリー派か」ではなく、「ジャニー派かジュリー派か」となっていることだ。

ここまでくればもうお分かりだろう。
飯島派をつくったのはジャニー喜多川氏であり、実質的に「飯島派=ジャニー派」だったのだ。
この時点でジャニーズ事務所内の勢力図は「ジュリー・メリー派」対「ジャニー・飯島派」という構図になっていたことを示している。

ところが不可解なことに、メリー・ジュリー派による“飯島潰し”が激化する中、飯島氏をバックアップしてきたはずのジャニー氏は、ぱったりと動きを止めてしまうのだ。
メリー氏による、あの「週刊文春」インタビューでの飯島氏に対するパワハラ解雇通告という決定的な出来事の際も、ジャニー氏が事態の収拾に乗り出すことはなかった。

メリー氏はこの「週刊文春」のインタビューで、「ジェイ・ドリーム」についても「ジャニーは首にしたほうがいいんじゃない? だって、ジャニーは給料ももらったことないし、書類も見たことないじゃない。会社も行ったことないじゃない?」「ジャニーには(ジェイ・ドリームの社長を)辞めさせなさい。私が迷惑するから。だって、ジャニー、自分が社長になってるの知らないんだもの」と語っている。

まさかジャニー氏が、本当に自分が社長になっていたことを知らなかったとは考えづらいが、メリー氏が嘘をついたのでなければ、ジャニー氏がそう言ったことになる。

「ジャニーさんは、自分が社長になったことを隠していたのかもしれません。
それがバレて、メリーさんから詰め寄られたため、『社長になっているのは知らなかった』と言ったのではないでしょうか。
いずれにしても、メリーさんに逆らってまで、飯島さんを残すことはできなかったということでしょう」(芸能プロ関係者)

では、ジャニー氏はなぜ飯島氏を見放してしまったのか。
この疑問についても、『SMAP解散騒動の全内幕』はジャニー氏とメリー氏の姉弟関係を紐解くことで、ひとつの答えを導き出している。

この姉弟の関係を理解する上で、避けて通れないのが、ジャニー氏の所属タレントに対する「ホモセクハラ疑惑」だ。
「週刊文春」との裁判でも「ホモセクハラは事実だった」と認定されているのだが、不可思議なことにテレビや新聞がこの判決を問題視することはなかった。
判決以降も、ジャニー氏の行為が大手メディアで非難されたことはほとんどない。

ここにジャニーズ事務所のもつ強大な権力が影響していることは明白だろう。
そして、その権力を使ってジャニー氏を守り続けてきたのがメリー氏なのである。

ジャニー氏にとっての最優先事項は、愛すべき少年たちに囲まれ、彼らをプロデュースするという日常である。
ジャニー氏にとって、メリー氏は、そんな自分の反社会的な性癖を理解し、守り続けてくれた唯一にして絶対の味方なのだ。
自分の “聖域”が守られている限り、ジャニー氏はギリギリのところではメリー氏に逆らうことはできないのだ。

娘可愛さのあまり飯島氏を追い出しにかかったメリー氏に対し、ジャニー氏は傍観するしかなかったのだ。

いずれにしても、分裂騒動は現在進行形であり、水面下では着々と“SMAP潰し“が進行中であることは本サイトでも既報の通り。
だからこそ、SMAP騒動の真相は改めて検証される必要がある。
それは、既得権益にドップリとつかった日本の芸能界とマスコミの現実を知ることでもあるからだ。